マカオと日本人の繋がり…
1549年フランシスコ · ザビエルが鹿児島に上陸し日本にキリスト教を伝えてから日本には信者が急速に増えた。しかし、キリスト教弾圧が始まる。逃れようとした多くのキリシタン達は九州からマカオやマラッカへと渡った。
マカオへは天正遣欧少年使節4人のメンバーも 1年弱滞在した。
マカオの散歩中に必ず立ち寄る世界遺産「聖ポール天主堂跡」は火事によりファザード(建築物の正面部)だけが残っているが、日本人キリシタンの痕跡が隠されている。
ファザードにある精緻な彫刻は、実は日本人の石工が作ったと言われており、現在も美しい姿を見せている。日本のシンボルである「菊」や武将の顔なども彫られている。
また地下納骨堂には日本殉教者も納めらている。
かつて天主堂跡の近くには日本人キリシタン達が暮らしていた集落もあった。
「茨林園」「豆醤里」という地名がその名残らしい。
「茨林園」茨はジャガイモを表し、ジャガイモ畑を意味し
「豆醤里」豆醤は味噌を表し、味噌小路という意味。
日本人達はジャガイモを育て、味噌を作り生活していたのだろう。
茨林園には日本人が掘ったと言われる井戸が残っている。
絵はその井戸(現在使用されていない)。集落の奥には番犬が多くいるので注意が必要。
集落に住んでいた日本人はアヘン戦争の頃にこの地を去り、その後中国からの移住者が住み続けているらしい。日本人の末裔はいない。
私はマカオに訪れるようになってからその歴史を知ることになった。
散歩の途中その集落全体を見下ろしふと思う、
…時代に翻弄されどんな思いでこの地にやって来て過ごし
日本に戻ることもなくどんな思いでこの地に眠るのだろうかと…。
哀愁を感じながら大航海時代に思いを馳せる。
〜またいつか必ず訪問しよう〜
観光としてのマカオは検索すれば簡単に分かるのであえて観光を取り上げないマカオ旅をお話ししてまいりましたが、いかがでしたでしょうか。
まだまだ書ききれないほど様々な思い出があります。異文化との出会いは些細なことでも刺激になります。
私は今まで観光などの目的を持たない旅を長期休暇にあてることが多かったと思います。ヨーロッパなどもそうでした。
行き当たりばったり、でも気楽なのんびりとした旅。私にとってはとても贅沢な旅です。
歴史などにそれ程強くないですが、マカオを知る事で興味を持ちました。少し調べてみると、マカオと長崎の五島のそれぞれの世界遺産は宗教を通して繋がりがあるようです。今後長崎にも訪ねてみたいと考えています。
マカオ旅にお付き合いくださって本当にありがとうございました。
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